大回顧展『アンディ・ウォーホル・キョウト』のキュレーターに聞く“ウォーホルの素顔”【後編】
2022.10.28
2022.10.27
連載企画「ミュージアム ~アートとエンタメが交差する場所」では、アーティストや作品の魅力を最大限に演出し、観る者の心に何かを訴えかける空間を創り出す人々にスポットを当てる。
今回は、「京都市京セラ美術館」で開催中の『アンディ・ウォーホル・キョウト / ANDY WARHOL KYOTO』(以下、『アンディ・ウォーホル・キョウト』)のキュレーターを務めるホセ・カルロス・ディアズ氏のインタビューをお届けする。
『アンディ・ウォーホル・キョウト』では、ピッツバーグ(アメリカ、ペンシルベニア州)にある「アンディ・ウォーホル美術館」に所蔵された膨大なコレクションから約200点が一挙に展示され、日本初公開作品は約100点にのぼる。
“ポップ・アートの旗手”と呼ばれ、時代の寵児であったアンディ・ウォーホルだが、あまりに多面的な作品、多義的な言葉を残していったため、今なお光と影を抱くミステリアスなアーティストとして知られる。そんなアンディ・ウォーホルと、今回の展覧会を通してどのように向き合えばいいのか? そのヒントを与えてくれるのが、「アンディ・ウォーホル美術館」の主任学芸員であり、本展のキュレーターでもあるホセ・カルロス・ディアズ氏だ。
前編では、アンディ・ウォーホルの生い立ちや彼が影響を受けたものを紐解きながら、それにまつわる『アンディ・ウォーホル・キョウト』の見どころを解説してもらった。
ホセ・カルロス・ディアズ氏
José Carlos Diaz
アンディ・ウォーホル美術館 主任学芸員
『アンディ・ウォーホル・キョウト』キュレーター
アンディ・ウォーホル(1928~1987年)はアメリカ、ペンシルベニア州ピッツバーグ出身。商業デザイナーとしてニューヨークでキャリアをスタートさせ、30代でアーティストとして本格的に制作を開始。1960年代以降はニューヨークに「ファクトリー」と称するスタジオを設け、目覚ましい経済成長の最中にあったアメリカの大量消費社会を背景に、版画技法のシルクスクリーンを用いた「大量生産」のアジテーションとも呼べる作品を次々と発表する。キャンベル・スープ、コカ・コーラなど当時広く普及していた人気商品や、マリリン・モンロー、エルヴィス・プレスリーなど数多くの有名人をモチーフに作品を制作し、“ポップ・アートの旗手”として活動するとともに、芸術をポップカルチャーのフィールドにまで拡張。アートのみならず音楽、ファッション、マスメディアなどさまざまなジャンルの表現に影響を与えた。2022年9月17日(土)から2023年2月12日(日)まで「京都市京セラ美術館」で開催されている『アンディ・ウォーホル・キョウト』は、ピッツバーグにある「アンディ・ウォーホル美術館」の所蔵作品のみで構成される日本初の展覧会。絵画、彫刻などの約200点と映像15点の展示作品のうち、100点以上が日本初公開作品となる。京都のみの単館開催で、巡回はないという異例の大回顧展となっている。
――まずはホセさんご自身が、アンディ・ウォーホルというアーティストに深く関わることになったきっかけを教えてください。
自分はマイアミで生まれたのですが、家族はもともとメキシコ人で、アメリカに移住してきた移民でした。そして私は自分のセクシュアリティをクィアだと認識していて、宗教はキリスト教のプロテスタントではなく、カトリックを信仰しています。
つまり私の出自や思考というのは、アメリカという国において主流派ではありませんでした。このことが、東欧からアメリカにやって来た移民の子どもであるウォーホルが育った環境と共感できる部分であると感じています。ウォーホル自身も自分のセクシュアリティのことなど、いろいろな悩みを抱えながら生きていたわけですが、こうした共通点から個人的に感情移入できるところがあったんです。
――具体的な出会いはどのようなものだったのでしょうか。
子どものころに放課後の課外授業でアートクラスに参加したのですが、そこでポップ・アートに出会いました。私にとってポップ・アートに触れる上で重要な人物がふたりいて、ひとりがキース・ヘリング。そしてもうひとりがウォーホルだったんです。
彼らポップ・アーティストは日常を“ポップ”というレンズを通して表現をしているのだと思います。なぜ私がそこに惹かれているのかというと、彼らの作品はとてもカラフルで、ジョイフル、喜びに満ちていますよね。
ですが実は作品の奥に、痛みや暴力、あるいは批評性、アメリカという国に対する批判などが通底しているのです。そうしたポップ・アートの意味、そして深みを、自分自身が成長するにつれてわかってきたのです。まさにこうした点を「アンディ・ウォーホル美術館」でさらに深めることができて、今ではとても幸運だと感じています。
――「アンディ・ウォーホル美術館」では1万点にも及ぶ膨大なコレクションを所蔵していると伺っています。そのなかから200点以上が今回の『アンディ・ウォーホル・キョウト』で紹介されているわけですが、日本の私たちにプレゼンテーションするにあたって、何を意図して作品を選び、展示構成を考えられたのでしょうか。
ウォーホルの展覧会のキュレーションをするときに、いつもチャレンジというか、やりがいに感じるところは、どうやって新しい情報を乗せて提示していけるか、ということです。というのも、ウォーホルの作品については、マリリン・モンローやキャンベル・スープなどが多くの人に知られているイメージがありますよね。
ですが彼はとても多作で、子どものころから亡くなるまでずっと作品を作りつづけたアーティストでした。1928年から1987年までの生涯で、絵画やスケッチだけでなく、フィルム、アーカイブ、さらに日記に至るまで、ものすごく多くのものを残しています。そのなかからどうやって新たな視点を見出すことができるかが、キュレーションの要だと思っています。
――私たちが知らないアンディ・ウォーホルに出会えるわけですね。
今回は日本、しかも京都のみでの開催ということで、まずは1956年にウォーホルが京都を訪れた旅がひとつの重要な視点になっています。さらに全体の構成としては、ウォーホルの多面性を感じられるようにしました。
例えば彼は、1960年代にマリリン・モンローやキャンベル・スープなどを描いたシリーズを送り出すいっぽうで、同じ時期に、実際に起こった事故や死をモチーフに描いた「死と惨事」というシリーズも作っています。おそらく日本でも“すごく好きだ”という声と“すごく嫌いだ”という声、そういった極端な反応を引き起こすアーティストなのではないでしょうか。
このようにウォーホルはとても多くの側面を持っていて、しかも生涯にわたってさまざまなタイプの作品を制作してきた人なので、今回は展示自体を1冊の本を見せるように章立てにしました。展覧会に来た方々が会場を進みながら、ひとつずつ章を追っていくようなかたちで鑑賞してもらえるように構成しています。
また会場自体も、さまざまな原色や壁紙を使ったパーティションでカラフルにして、展示は天井間際までスペースを活用し、立体的な見せ方や迫力のある見せ方など、いろいろな遊びを入れました。ウォーホルが生み出した作品との出会いという喜びに満ちた、楽しい空間にしたいと考えたのです。
――確かに単純なホワイトキューブの無機質な展示空間とは趣が異なりますね。
パンデミックの影響でさまざまな制約があり、これまでの期間は展覧会においてもアーティストが持つ“深み”を満足のいくところまで追求できる展示というのはなかなかできませんでした。今回、ようやくしっかりした展示ができて、ウォーホルの個人的な側面、宗教に関する部分やセクシュアリティの捉え方、あるいは1950年代からの日本との関係が、その後の彼の作風にどういう影響を与えたかといったことまで、深く紹介できることをうれしく思っています。
――解説していただいた通り、この展覧会では5つの章にわたってテーマを設定し、作品としては、京都でのスケッチから「最後の晩餐」といった大型作品まで、日本初公開作品だけでもたくさんの見どころがあります。その上で、あえてお聞きしますが、私たちが鑑賞するにあたって、ここはじっくり観てほしい、というポイントをいくつか教えてください。
本当にたくさんあるんですよね(笑)。まずひとつは、今、挙げてもらった「最後の晩餐」。「The Big C」とも言われますが、これは「アンディ・ウォーホル美術館」以外での展示、ことに国外に持ち出すことはなかなかないものですので、ぜひとも観てもらいたいです。
もうひとつ、私が『アンディ・ウォーホル・キョウト』のハイライトとして挙げたいのは、「花(手彩色)」のシリーズです。これは1974年に手彩色を加えて作られたものです。手彩色はウォーホルが1950年代に多用した手法ですが、私が面白いと思うのは、その古い手法をあえて1974年に改めて用いたところ。これには大変驚かされました。
このシリーズには、日本文化の生け花の影響を見てとることができると思っています。また、このシリーズはアメリカ国内でも展示されることはほとんどありませんでした。なぜなら、生け花がいかにウォーホルに影響を与えたのかということが、広く理解されていなかったためです。しかし生け花の文化が根付いている日本でなら、そこは理解してもらえると思ったので、ここ京都でこそ見ていただく意義があるものだと思いました。それがこの作品をハイライトのひとつに挙げる理由です。
――アンディ・ウォーホルは、日本の生け花を知っていたのですね。
ウォーホルは1956年と1974年に日本を訪れた際に、生け花など日本のさまざまな文化に触れています。さらにアメリカでは、1964年のニューヨーク万国博覧会で、ウォーホルの「13人の凶悪指名手配犯」という作品がニューヨーク州のパビリオンに展示されたのですが、このとき日本のパビリオンでは日本の伝統文化が紹介されていて、ウォーホルはそこでも生け花を観ていたのではないかと思われます。
「銀の雲」のスペースにもぜひご注目ください。「銀の雲」は1966年に発表された作品ですが、空間を共有し、そこに没入することができる“環境”として発表された作品で、当時としては革新的なアートでした。これまで長い間、美術館という空間でフォーマルな形で展示されることはなかったのですが、今回、新しいテクノロジーと相まって、皆さんが楽しめるアートインタラクション体験を提供しています。ここもおすすめしたいですね。
――メジャーなハイライトということでは、門外不出の「三つのマリリン」が観られるのも外せないですね。
これもほとんど「アンディ・ウォーホル美術館」の外に出ることがない作品です。ウォーホルの宗教的なバックグラウンドは東方カトリック教会で、イコン画(キリスト、聖母、聖人などの聖画像)との関係が深いのですが、それを理解した上で、なぜマリリン・モンローの肖像が3つ複製され、繰り返されているのか? この点についてウォーホルの生い立ちとの関連を見ていくのも面白いと思います。私は、この作品はウォーホルの秘密を開くドアのようなもので、非常にミステリアスなものだと感じています。
また、「三つのマリリン」に関しては、今回の展示で、後ろの壁の色が金色であることにもご注目いただきたいです。彼は1956年に初めて日本に来たときに、お寺をいろいろと観てまわって、宗教的な場所に金色が多く使われていることを知るわけです。これは実は、東方カトリック教会にも通じることで、金色は格別に神聖なもの、宗教的なものと捉えられます。アジアのお寺でもその意味は同じなのだと思いますが、日本における展示で「三つのマリリン」の背後が金色になっているのには、深い意味があるのです。
――「三つのマリリン」から読み解けるウォーホルの秘密について、もう少し具体的に教えてください。
まさに、そこがとても面白いところで、やはり彼の生い立ちがよく見えてくるのです。今回の展示でもわかるようになっていますが、ウォーホルにはパブリックな側面、プライベートな側面の両方で興味深い点があります。彼の死後に『ウォーホル日記』が出版されたことで、私たちもそこに迫っていくことができるのですが、彼が移民の子どもであったということが重要な要素になっています。
鉄鋼で栄えた街、ピッツバーグ周辺に、東欧などから東方カトリック教会に属する人々がたくさん移住してきました。今でもこの地域にはそのルーツを汲む人々が多く住んでおり、そのなかにはウォーホルの家族もいます。
そこで生まれ育ったウォーホルには、母親がとても重要な影響を与えました。彼はチェコ語と英語のバイリンガルの家庭で育っていますが、私が興味深いと思うのは、母親が彼にアート的なことをどんどん吸収させたのと同時に、宗教的な習慣も教え込んだことです。ピッツバーグの東方カトリック教会に通うという家庭環境で育ったために、ウォーホルは教会のイコン・スクリーン(イコノスタシス、聖障とも言う。祭壇と一般信者席を仕切る、数段の木製のイコン画で埋め尽くされた壁)にも触れ、イコン画をずっと観てきました。
――「三つのマリリン」が生まれた背景にはイコン画があると。
イコン画というのは、東方カトリック教会において非常に重要なものです。なぜかというと、イコン画を通して天の世界とコミュニケーションするとされているからです。今でこそ、私たちはスターやアイドルについて「アイコンだ」とか「アイコニックだ」といった言い方をしますし、“アイコン=イコン”がある種の力を持っているということはよくわかりますよね。
けれども、東方カトリック教会で洗礼を受け、宗教的な教育を受けていたウォーホルは、イコン・スクリーンをいつも目にして、イコン画がどれだけパワフルなものであるかということを、子どものころからよくわかっていました。同時に、彼はそうした“聖なるもの”を、大衆的な、世俗的なものに変容させていくこと、あるいは変換することに非常に長けていたのだと思います。
先ほど「三つのマリリン」の背後の壁の色についても触れましたが、マリリン・モンローの肖像画シリーズでウォーホルが初めて制作したのは、作品自体の背景がすべて金色の「黄金のマリリン・モンロー」と呼ばれるものです。彼にとって金色はただの“色”ではないわけですね。こうしたことから、「三つのマリリン」から人間ウォーホルの秘密がいろいろと見えてくる、そこに通じるドアなのではないかと思うのです。
文・取材:立花こうき
撮影:干川修
『アンディ・ウォーホル・キョウト / ANDY WARHOL KYOTO』
開催期間:2022年9月17日(土)~2023年2月12日(日)
休館日:月曜日(ただし祝日の場合は開館)、12月28日(水)~1月2日(月)
開館時間:10:00~18:00(入場は閉館の30分前まで)
会場:京都市京セラ美術館 新館「東山キューブ」(京都市左京区岡崎円勝寺町124)
入館料:一般・土日祝:2,200円(当日)
一般・平日:2,000円(当日)
大学・高校生:1,400円(当日)
中学・小学生:800円(当日)
※すべて税込
※20人以上の団体割引料金は当日券より200円引き
※障がい者手帳等をお持ちの方(要証明)と同伴される介護者1名は無料
※未就学児は無料(要保護者同伴)
※会場内混雑の際は、今後、日時予約をお願いする場合や入場までお待ちいただく場合がございます。
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