A-1 Picturesの20年を振り返りながら見えてくるアニメ制作現場の未来像②
2025.07.05


2005年5月9日に設立された、アニプレックス(以下、ANX)傘下のアニメーション制作スタジオ・A-1 Pictures(以下、A1P)は、2025年で20周年を迎える。
2007年に制作されたアニメ『おおきく振りかぶって』で注目され、それ以降、幅広いジャンルの作品を手がけているA1P。同社のこれまでの歴史と歩みを振り返りながら、アニメ制作現場の変遷と、今後、目指していく未来について3人のキーパーソン聞いた。
目次

落越友則
Ochikoshi Tomonori
ソニー・ミュージックエンタテインメント
執行役員
アニプレックス
取締役執行役員専務
A-1 Pictures
代表取締役会長
CloverWorks
代表取締役会長

清水 暁
Shimizu Akira
A-1 Pictures
代表取締役 執行役員社長
CloverWorks
代表取締役 執行役員社長

加藤 淳
Kato Jun
A-1 Pictures
執行役員専務
記事の後編はこちら:A-1 Picturesの20年を振り返りながら見えてくるアニメ制作現場の未来像②
2007年にアニメ『おおきく振りかぶって』を制作。それ以降、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(2011年)といった劇場版オリジナルアニメ作品に加え、『ソードアート・オンライン』『うたの☆プリンスさまっ♪ マジLOVE1000%』『THE IDOLM@STER』『マギ The labyrinth of magic』『冴えない彼女の育てかた』などの幅広いアニメ作品の制作を手がけている。2012年に高円寺スタジオを開設。2018年その高円寺スタジオがCloverWorksとして分社化するなど、アニメスタジオとしても拡大。近年は『俺だけレベルアップな件』や『マッシュル-MASHLE-』『Fate/strange Fake』など、海外でも注目を集める作品を手がけている。
A-1 Pictures 20th Anniversary Z-A
――2005年5月9日に設立されたA1Pは、2025年で20周年を迎えました。スタジオ立ち上げメンバーだった皆さんは、A1Pの設立にあたり、それぞれどのような経緯で参加することになったのか教えてください。
加藤:私はもともと別のアニメ制作会社に在籍していたのですが、そこを退社し2年ほどアニメ業界から離れていたんです。そんなところに、知り合いから“今度、ANXが新スタジオを立ち上げるから来ないか”と誘われまして。2005年11月1日付けでANXに入社し、A1Pに配属になりました。
といっても、まだそのころはA1Pのオフィスがなかったので、最初の1カ月はANXに出社していました。本格的にA1Pの立ち上げが始まったのは、落越さんがA1Pの制作部長として、ANXから異動してきた2006年2月ごろですよね。
落越:そうでしたね。私はそれまでANXでアニメ作品のプロデューサーをしていたのですが、ANX内にアニメ制作スタジオを立ち上げることになり、2006年2月に異動になりました。最初は荻窪と南阿佐ヶ谷の間にあるビルに仮スタジオを作り、そこから業務を始めたんです。
清水:自分も別のアニメ制作会社からの転職で、2006年5月にA1Pに参加しました。2006年の10月ごろに現在の本社オフィスができたんですよね。
落越:最初の仮スタジオのときは制作スタッフが2~3人いたけれど、アニメーターはゼロ。クリエイターがひとりもいなくて、作画机もなかったですね。
加藤:作画机は……自分たちで作りましたよね?(笑)
落越:そうそう。まずA1Pを立ち上げるにあたって、スタジオ内の環境についてヒアリングを行なったんです。そうしたら、アニメーターの不満として既製品の作画机や椅子で使いづらいものがあるということと、手狭な作業スペースというのが聞こえてきました。
そこで作業スペースにはこだわったほうがいいなと思い、家具メーカーに相談して、作画机の設計を始めたんです。横幅も160cmと広くして、奥行きもグッと広げて、机の上に専用の棚もつけました。
清水:使い勝手のいい作画机を考えるのは楽しかったですよね(笑)。
落越:アニメーターの作業は座って行なうのが基本ですから、やはり椅子も大事だなと思って、いいものを入れました。最低限、それくらいのアドバンテージがないと、新興のスタジオには人が集まらないと思ったんです。
加藤:アメリカのアニメスタジオにも見学に行って圧倒されていましたよね(苦笑)。
落越:現地に行ってわかったのが、アメリカのアニメーターは、みんなそれぞれ作画作業用の個室を持っていて、そこで絵を描いているという事実。ただ、ここまではさすがに真似できないなとなりました(笑)。
――制作環境という意味では、A1Pは早い時期からフリーのアニメーターの方々から原画や動画を回収するときに、スタッフが車で回るのではなく、外部の運送会社に委託して回収するようにしていたそうですね。
落越:やはり、制作スタッフが車で走り回って、原画を回収することには事故という大きなリスクが伴うなと。それではダメだと考えて、外部に委託するコストがかかってでも社用車を廃止することにしました。
清水:私を含め当時の現場スタッフは、この件に関してめちゃめちゃ反対しましたよね。これまで制作スタッフが社用車で回って、カット袋(アニメに必要な各素材を収納する袋)を回収していたのに、それをやめたらどうやって作業を進めればいいんですか? と。
落越:でも、誰かがやめると言わないと、このやり方が変わらないのはわかっていたし、それよりも交通事故が起こるリスクのほうが怖かったんです。しかも、そこを変えたぐらいで、制作が進まなくなるというなら、そもそもそんな仕事はなくていいと、私は判断しました。
加藤:制作現場の慣習にどっぷり浸かっていた我々からは絶対に出てこない発想だなと思いましたね。
――A1Pの立ち上げは、まずクリエイターの方たちの環境づくりから始まったんですね。
落越:今までのやり方を自分たちで変えていこうなんて、大それたことを考えていたわけではないんです。ただ、改善できるところは改善して、それが、我々と一緒に仕事をしてもらう理由のひとつになってくれたらという思いはありました。
――アニメ業界において、そもそもメーカーの立場であるANXが自社でアニメ制作スタジオを作るというのは、20年前の当時としては斬新なことだったのではないでしょうか。
清水:そうですね。今では当たり前のことになっていますが、当時は珍しかったと思います。これは先見の明があったということになるんですかね? そのあたり、落越さんはどんな考え方だったんですか?
落越:本来、プロデュース会社とスタジオはやっぱり別物なんですよね。餅は餅屋という感じ。だから、スムーズにいかないことも多かったんです。
ただ、当時のANXの代表取締役だった竹内(成和)さんが「自分たちの事業領域を広げていきたい」と言っていて。ANXが企画という制作工程の源流を担うなら、そこから生まれたものを連ねて川という大きな流れにする制作にもチャレンジしたいと。
私自身としては、プロデュース会社とスタジオの関係の難しさはよく知っていましたから、逆にそれに挑まない理由はないなと思いました。なぜなら、その両輪が上手く回れば、これほど心強いことはないですから。
清水:そこから20年経って、確かに今ではスムーズに物ごとが回るようになりましたね。あと、個人的には新しいスタジオを自分たちで立ち上げたことが良かったのだと感じています。既存のスタジオを受け入れるかたちだったら、落越さんが言う通り、当時は文化の違いを乗り越えられなかったのかもしれない。
――立ち上げ当初、A1Pをどんな方向性のスタジオにしようと考えていたのでしょうか。
加藤:「カラーがないのがA1P」だと思っています。私自身のキャリアで言ってもアクションものから日常ものまで幅広くやらせてもらっているので、この作品が自分のカラーです、ということはないですね。
落越:スタジオの明確な方向性はないんですよね。スタジオが作品の方向性を決めるのではなく、作品がスタジオの方向性を決めているというか。
昔から、「どういうスタジオなんですか?」「どんなカラーの作品を作るんですか?」と聞かれるんですけど、そういうコンセプトを自分たちで持つことがはたして正しいのかどうか……。
何年もやっているうちに“あのスタジオってこういうところがすごいよね”と誰かに色分けしてもらうくらいでいいのかなと。むしろ、そう思ってもらえるように作品を1本1本丁寧に、大切に作っていくことが大事だろうなと思っていました。
――A1Pが最初に手がけた作品は『ぜんまいざむらい』(2006年放送/NHK教育テレビジョン放送の5分アニメ)でした。
落越:スタジオの立ち上げから、かなり早い段階でアニメの制作を始めていたんですよね。ただ、『ぜんまいざむらい』は制作協力で、アニメ制作会社のノーサイドの皆さんに入っていただいているので、全部がA1Pで制作をしていたわけではないんです。
なので、A1Pが単独で本格的に制作を始めたのは『ロビーとケロビー』(2007年放送/「アニメロビー」枠内で『おねがいマイメロディ すっきり♪』とともに放送された10分アニメ)、あと『宇宙ショーへようこそ』(2010年公開/劇場オリジナル作品)ですね。
――『宇宙ショーへようこそ』はそのころから制作されていたんですね。
落越:制作ナンバーという意味なら001番と言ってもいいかもしれない。そして『宇宙ショーへようこそ』の企画を始めた直後に、『おおきく振りかぶって』(2007年放送)(以下、『おお振り』)の制作が決まったんです。
加藤:A1Pとして最初のターニングポイントになった作品は、やはり『おお振り』だと思いますね。
――『おお振り』は第2期の『おおきく振りかぶって~夏の大会編~』(2010年放送)も制作され、ヒット作品となりました。
加藤:当時、できたばかりのスタジオであるA1Pが『おお振り』を手がけられることになったのは、すごく大きなことだったなと思います。
落越:“できるだけ早くヒット作を生み出したい”ということは、かなり真剣に考えていました。やはり作品がヒットすると、いろんな人が幸せになるんですよね。それまでにもプロデューサーをやってきて、売れると売れないじゃ、全然違うということは身に染みてわかっていたのでなんとかしたいと。
あとは、当然のことながら、当時、業界内でもA1Pのことは誰も知りませんから。スタジオとして名前を売るという意味でもヒット作が必要だったんです。
ちなみに、『おお振り』の原作マンガは当時から大人気で。アニメ化の企画はコンペでしたが、大手のスタジオがたくさんエントリーしているなか、“A1Pってどこ? 初めて聞くけど……”というのが関係者の方々の正直な感想だったと思います。
そこを、ANXを含めた製作委員会に名を連ねる各社の皆さんが、“みんなで支えるから大丈夫”とサポートしてくれました。我々も「これはしっかり期待に応えなくては」という思いとともに臨んだ作品になりましたね。それと、『おお振り』で良かったのはタイミング。運良くスタジオが全員で動ける状況だったんですよ(笑)。
清水:それぞれやることはいろいろとあったんですけど、「今は『おお振り』の制作が大事だから、こっちに集中するぞ」って(笑)。
加藤:『おお振り』では自分も2クール目のオープニングの制作進行を担当しました。A1Pが2006年に本格的に稼働し始めて、2007年4月にはオンエアが始まっているわけですから、今考えると、ものすごいスピードで作っていましたよね。
清水:現場はかなりドタバタしてましたよ(苦笑)。
落越:そうは言っても、時間のないなかで『おお振り』はかなりこだわって作っていたと思います。可能なら、ぜひ見て直してもらいたいのですが、選手が使っているグローブは一人ひとり違うもので描写にもこだわっていますし、選手のバッティングフォームや投球フォームもそれぞれ変えています。動きもひとりずつ解析して、作ってたよね。
清水:やってましたね……。あれほど細かい設定がある野球アニメは、なかなかないと思います。
落越:作画も大変だったと思います。一人ひとり違うから、毎回その個性を描かなきゃいけないので。
加藤:監督の水島(努)さんも「高校生らしいスピード感にしてほしい」と言っていて。プロ野球って意外とゆっくりしたテンポじゃないですか、例えば攻守交代のときとか。でも、高校野球はすべての動作がキビキビしてますよね、ベンチに戻るときもほぼ全力疾走といった感じで。それを監督は表現したいと、現場ではかなり細かく指示がありました。
落越:テーマは同じ野球であっても、プロと高校生ではまったく別ものになる。やはり高校野球はプロ野球よりも拙いし、選手は緊張している、と同時に熱量も高い。そこを描きたいんだと言われて。
清水:スタンドの応援団も細かく描きましたよね。実際に高校野球の応援団の取材に行って、応援の声も録音して。
落越:やっぱり、あのときはみんな『おお振り』にかける熱量がすごかったんですよ。そして、その熱量で作った『おお振り』がヒットしたおかげで、A1Pの成長スピードは格段に変わったんだと思います。
清水:『おお振り』のおかげでA1Pの認知度も広がりましたからね。
加藤:他社に仕事をお願いするときも、代表作があるおかげで頼みやすくなりました。
後編では、アニメ制作現場のDX化や今後の展望について語る。
文・取材:志田英邦
撮影:干川 修

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