チープ・トリックについて知っておきたい13のこと②
2025.09.29


日本でのヒットをきっかけにアメリカへと逆輸入され、世界的ロックバンドへとのぼりつめたチープ・トリック。10月1日には、最後の来日公演が日本武道館で行なわれる。
“パワーポップの元祖”と呼ばれ、次世代のバンドにも影響を与えたチープ・トリックの歴史を紐解きながら、その魅力をソニー・ミュージックジャパンインターナショナルの担当者が解説する。
目次

白木哲也
Shiroki Tetsuya
ソニー・ミュージックレーベルズ
記事の後編はこちら:チープ・トリックについて知っておきたい13のこと②
――チープ・トリックというグループの特徴を教えてください。
チープ・トリックは1978年に『チープ・トリック at 武道館』というライブアルバムが爆発的に売れてブレイクしました。アメリカ本国よりも先に日本で人気が出た、いわゆる“ビッグ・イン・ジャパン”の典型的なバンドだったんです。そういったバンドはすぐに消えてしまう場合もありますが、彼らは日本での人気をきっかけにアメリカで成功をつかんでいった。そのストーリーがすごく面白いんですよ。
――日本でブレイクして、アメリカに逆輸入されたわけですね。
僕はドンピシャの世代かなと思いますが、当時はキッス、エアロスミス、チープ・トリックみたいな感じで若手バンドが盛り上がっていました。中高生の間では男子にも女子にも、チープ・トリックは非常に影響力がありましたね。
彼らのビジュアルを見ていただければわかりますが、チープ・トリックはメンバー4人のキャラがすごい立ってるんです。ロビン・ザンダーとトム・ピーターソンのイケメンふたりに、リック・ニールセンとバン・E・カルロスのちょっととぼけた感じのふたりっていう。アルバムジャケットでも、イケメンふたりが表面になって、裏面にお笑い系担当がいるみたいな感じで(笑)。
音楽的なところで言うと、ザ・ビートルズや1960年代のブリティッシュビートに一番影響を受けていたメンバーたちが、メロディアスなロックンロールをやるっていうのが、当時すごく斬新でしたね。
――メンバーそれぞれの魅力について聞いていきます。まず、ギターのリック・ニールセンから。
チープ・トリックのほとんどの楽曲を書いてるのはリックです。キャップを被ったギター小僧みたいな風貌で、ネックが何本もあるギターを弾いたり、アクションが派手だったり、ステージでもひときわ目を引きますね。
リックのギターはリフが中心で、曲の雰囲気に合わせて、激しかったりメロディアスだったりするフレーズを入れていくタイプ。曲を書いてるからというのもありますが、すごく耳に残るギターを弾く印象があります。
――続いてボーカルのロビン・ザンダーについて聞かせてください。
チープ・トリックの一番のすごさは、やっぱりロビンのボーカルだと思います。高音から低音まで歌えて、とにかく音域が広い。軽く歌ってるようでいて、めちゃくちゃうまいんです。変幻自在な表現力があって、本当に才能豊かなボーカリストです。
それでいて、ライブでは途中で叫ぶような煽りを入れたり、お客さんを乗せるのもすごく上手。色気のある声で、しかもあのビジュアルですからね。当時ロビンがよく「王子様」って言われていたのも納得です。そんな自分のキャラもたぶんわかっていたんだと思いますけどね。白いスーツにサラサラの長い髪で、甘い声で歌いつつワイルドにシャウトするみたいな。これはモテるよなって(笑)。
――ベースのトム・ピーターソンはどうでしょう?
トムも、チープ・トリックのもうひとりのイケメンって感じですごく人気がありました。トレードマークは12弦ベース。1音に対して3本の弦を押さえるという、めったに見たことがない楽器ですね。スタイルとしてはシンプルなベースラインを弾いてバンドを支える感じなんですけど、弾き方がかっこいい。ビジュアルも含めて自分を見せる方法をよく知ってる感じがします。
――最後に、ドラムのバン・E・カルロスは?
バーニーの愛称で親しまれていますが、彼がいることでバンドの見え方がさらに面白くなりますね。メガネをかけていて、髭を生やして、ナードな感じを醸し出しながら、気だるそうにドラムを叩くんです。でも演奏自体は、まったくリズムを外さないタイトなドラムなんですよ。
――まさにマンガのキャラのようですね。
本当にそう。これだけキャラが揃ったバンドはなかなかないと思います。
――チープ・トリックの楽曲の魅力は、どんなところにあるのでしょう?
彼らとしてはハードロックみたいな音楽をやりたかったと思うんですけど、そこにフックとなるメロディが入ってくるところが最大のポイントですね。ザ・ビートルズにもっとも影響を受けていましたが、ザ・ビートルズに似た曲があるわけではないんです。ちょっとしたコード進行とかギターのフレーズとかに、ザ・ビートルズっぽいニュアンスが感じられるという、曲づくりのうまさを感じます。
簡単に言うと、ハードロックにポップネスを持ち込んで、それをうまく料理したサウンドがチープ・トリックの特徴ですね。
――音は結構ラウドで、メロディがキャッチーというバランスが絶妙ですよね。
そうなんです。めちゃくちゃハードな曲もあれば、甘いポップソングもある。でもシンプルにポップかと言えばそうではなく、すごく激しいリフが入っていたりもする。単にメロディアスなロックには収まらないし、パワーもあってひねりのきいたアレンジセンスが抜群。
そうしたところが、のちに“パワーポップの元祖”と言われたゆえんなのかなと思いますね。ヘヴィななかにみんなが歌えるようなメロディが入ってきて、そこがライブでも盛り上がるポイントです。
――チープ・トリックの歴史を辿っていきます。
チープ・トリックは、1977年にアルバム『チープ・トリック』でデビューしました。その年に早くもセカンドアルバム『蒼ざめたハイウェイ』を発売して、シングルになった「甘い罠」が日本で大ヒットしたんです。アメリカ本国では全然売れなかったけど、その時点でチープ・トリックは日本でブレイクした感じでした。
続いて1978年にサードアルバム『天国の罠』を発売して、シングルの「サレンダー」がまたもや日本で大ヒット。そのタイミングで初来日して、日本武道館公演(1978年4月)をやったんです。それを収めたのが、ライブアルバム『チープ・トリック at 武道館』(1978年10月、日本発売)でした。
この作品は、最初、日本だけのリリースでしたが、アルバムを手に入れたアメリカのラジオDJが番組でかけたらどんどん盛り上がって、当時ものすごい数の日本盤がアメリカに輸出されたそうです。
それを受けて、翌1979年2月に『チープ・トリック at 武道館』のアメリカ盤がリリースになり、ようやく本国でもチープ・トリックがブレイクを果たしました。これは日本の洋楽史のなかでも非常に珍しい大成功例だったと言えます。
――日本でのブレイクのきっかけはどんなところにあったんですか?
僕の大先輩で上司でもあった野中(規雄)さんが、当時のチープ・トリックの担当ディレクターをされていました。野中さんはバンドをヒットさせるために、雑誌『ミュージック・ライフ』と組んで、グラビアも含めていろんな記事展開をしていたそうです。
それ以前にベイ・シティ・ローラーズとかもありましたが、海外の人気とはまったく関係なく、日本のなかで人気を作り上げようとした洋楽バンドのひとつだったと思うんですよ。チープ・トリックはビジュアルが良かったのでアイドル的に売ったら、実際に日本のティーンエイジャーの女の子たちにドンピシャに刺さったということですよね。
ただチープ・トリックの場合は作られたバンドではなく、音楽もロックだったので、僕みたいな男性ファンにも人気があったんだと思います。最初はアイドル的に人気に火がついて、セカンドアルバムがめちゃくちゃ売れて、それで初来日の武道館公演で本当に勝負をかけたのでしょう。
ディレクターもプロモーターも、スタッフみんなが武道館に向けて全力投球して、そのライブを録音するという話になり、しかもそれが大成功したっていう。野中さんから当時の話を聞いただけでも、武道館の現場のワクワクするような空気が伝わってきました。
――『チープ・トリック at 武道館』には、日本における当時の熱狂が凝縮されているわけですね。その作品が、アメリカでもウケた理由を知りたいです。
野中さんが言っていましたが、『チープ・トリック at 武道館』の何がすごかったかというと、日本の女性たちの歓声だったそうです。「甘い罠」のサビで、ファンが「クライン! クライン!」って返している声が、そのままレコードに入ってるわけですよ。「キャー!」っていう黄色い歓声も含めて。
もちろんライブ自体も本当に素晴らしいんですよ。ただ、ああいう歓声が入ったロックのライブアルバムなんて、海外の人たちは聴いたことがなくて新鮮だったみたいです。それが世界でウケた一番の理由だったと野中さんは話していましたね。
――1970年代のライブアルバムの名盤はいくつもありますが、黄色い歓声が入ったロックのライブアルバムは確かに異質ですよね。『チープ・トリック at 武道館』が“Budokan(ブドーカン)”という名前を世界に知らしめるきっかけになったという意味でも、重要なアルバムです。
そうですね。もちろんザ・ビートルズをはじめ、それ以前からいろんなアーティストが武道館公演をやってきましたが、明確に“Budokan”という名前が世界に響いたのは、チープ・トリックのアルバムからだと言われています。同時期にボブ・ディランも『武道館』というライブアルバムを出していて、そのふたつが決定打になったのは間違いないですね。
リックがよく言っている「武道館がチープ・トリックを有名にし、チープ・トリックが武道館の名を世界に広めた」というフレーズがあるんですよ。その後、2008年の30周年のときにも武道館公演をやったんですが、リックは「ビートルズは戻って来れなかったけど、僕らは30年後に帰って来たぜ! Budokan!」と、これまたいいコメントを言ってました。
―― 『チープ・トリック at 武道館』のあと、彼らはどのようなキャリアを進んでいったのですか?
アメリカで『チープ・トリック at 武道館』がブレイクして、そこから「甘い罠」のライブバージョンがシングルカットされて大ヒットしました。さらに、そのあとのアルバム『ドリーム・ポリス』(1979年発売)がビッグセールスとなり、次のアルバム『オール・シュック・アップ』(1980年発売)は、ザ・ビートルズのプロデューサーとして知られるジョージ・マーティンがプロデュースを手がけたんです。
でも、バンドというのはなかなかうまく進まないもので、1980年にベースのトムが脱退してしまい、そのあたりから人気もセールスも落ちていってしまいました。ただ、そのあともいいアルバムを出してはいたんですけどね。
『ワン・オン・ワン』(1982年発売)に入っている「永遠のラヴ・ソング」なんか超名曲ですし、『ネクスト・ポジション・プリーズ』(1983年発売)はトッド・ラングレンがプロデュースした作品でした。あまり売れなかったのは、時代性もあったかもしれないです。
――1970年代から1980年代への変化は、音楽シーンにおいてもかなり転換期だったように感じます。
アメリカではMTVが出てきて、カーズのようなポップなロックをやるバンドが人気を獲得していくなか、チープ・トリックはその波に乗っていけず埋もれてしまった感がありました。ただ、彼らがすごかったのが、そのあとに爆発的なヒットを出してシーンに返り咲いたことです。
――1980年代後半、チープ・トリックが再び脚光を浴びるまでの経緯を教えてください。
映画『トップガン』(1986年公開)のサウンドトラックに収録された「マイティ・ウイング」でちょっと注目を集めたのと、1987年にベースのトムが復帰したのが呼び水になって、翌1988年に出したアルバム『永遠の愛の炎』が大ヒット。そこからシングルカットした「永遠の愛の炎」がバンド初の全米ナンバーワンを獲得しました。
「永遠の愛の炎」はリックが書いた曲ではないし、1980年代的なちょっとトロトロ甘々な感じがありすぎるのと、アルバム自体も外部の作家を入れた楽曲が多かったので、チープ・トリックとしてどうなのか? という声もありましたが、バンドとしてはここで大復活。ライブの集客も上がり、まさに大逆転といった感じでした。
Cheap Trick - The Flame (Official Video)
――エアロスミスやハートなどもそうでしたが、1970年代に売れたあと低迷したバンドが、1980年代に復活するという流れもありましたね。
外部の作家の曲を歌って1980年代的な味つけにして、ヒットを狙って復活っていう手法は、エアロスミスもハートもチープ・トリックも同じだったと思います。
そのあとチープ・トリックは、1990年にアルバム『バステッド』を出すんですが、これがめちゃくちゃかっこ良かったんです。「フォーリン・イントゥ・ラヴ」っていうポップバラードみたいな曲が名曲で。ただ、この曲も日本ではシングルヒットしましたが、アメリカではあまりウケなかった。いわゆるヒット曲の要素がすべて入っているような曲だったんですけどね。1990年代に入って、アメリカの音楽業界も変わっていったタイミングだったというのが、いまいちウケなかった要因に挙げられます。
――確かに1990年代に入ると、アメリカの音楽業界全体が1980年代的なキラッとした感じとは違っていきましたしね。
そうなんですよ。でも日本では当時、EPICがめちゃくちゃ盛り上げて『バステッド』のプロモーションをやっていましたし、来日して武道館公演もやったんです。僕個人的にも『バステッド』というアルバムはすごく印象に残っています。
文・取材:土屋恵介
『ライヴ1979』
詳細はこちら
9月29日(月):大阪府・グランキューブ大阪
10月1日(水):東京都・日本武道館
詳細はこちら
日本オフィシャルサイト
https://www.sonymusic.co.jp/artist/CheapTrick/

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