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ミュージアム~アートとエンタメが交差する場所

“なぜ人は終末に惹かれるのか?”――『1999展』が提示する“終わり”の先に見えてくる“始まり”

2025.08.15

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1999年7月――世界は終わらなかった。しかし、もしあのとき何かが起こっていたら、人は何を考え、想い、そしてどんな答えを出したのだろう。

7月11日から『六本木ミュージアム』で開催中の『1999展 ―存在しないあの日の記憶―』(以下、1999展)は、終末の世界観を体感することで、考察意欲を掻き立てる新感覚の企画展だ。

本展の企画、制作の核を成した、ホラークリエイティブユニット・バミューダ3(スリー)の面々とプロデューサー陣が、『1999展』誕生の経緯を語る。

※「イチキュウキュウキュウテン」と表記し、伏せ字にしていたコメントを解放しました。

  • 佐藤直子のプロフィール写真

    佐藤直子

    Sato Naoko

    バミューダ3

    ゲームデザイナー、脚本家。美術大学卒業後、コナミ(現、株式会社コナミデジタルエンタテインメント)に入社し、『SILENT HILL』(1999年)の制作に携わる。コナミ退社後は、ソニー・コンピュータエンタテインメント(現、ソニー・インタラクティブエンタテインメント)に入社し、ホラーゲームファンの間でカルト的な人気を誇る「SIREN」シリーズや「GRAVITY DAZE」シリーズのシナリオなどを手がけた。独立後はアニメ映画『バブル』の脚本など、さまざまな分野で活躍を続ける。

  • 背筋のプロフィール写真

    背筋

    Sesuji

    バミューダ3

    小説家。小説『近畿地方のある場所について』(KADOKAWA)で作家デビュー。『穢れた聖地巡礼について』(KADOKAWA)、『口に関するアンケート』(ポプラ社)などを執筆し、第3次ホラーブームを牽引する新進気鋭のホラー作家として注目を集めている。『近畿地方のある場所について』を原作とする映画『近畿地方のある場所について』が、8月8日から全国公開されている。

  • 西山将貴のプロフィール写真

    西山将貴

    Nishiyama Masaki

    バミューダ3

    映画監督。1999年愛媛県生まれ。14歳のころから自主映画制作を始め、縦型映画『スマホラー!』(2021年)で、国内の映像コンペティションにおいて最優秀作品賞を受賞、新進気鋭の映像作家として注目を集める。2025年は、自身初の長編ホラー映画『インビジブルハーフ』と、短編映画『インフルエンサーゴースト』の公開を控えている。

  • 浅野祥のプロフィール写真

    浅野 祥

    Asano Sho

    株式会社ラストワンダー

    『1999展 ―存在しないあの日の記憶―』制作プロデューサー。

  • 小林亜里のプロフィール写真

    小林亜理

    Kobasyshi Ari

    ソニー・ミュージックエンタテインメント

    『1999展 ―存在しないあの日の記憶―』製作プロデューサー。

『1999展 ―存在しないあの日の記憶―』とは?

1999展ロゴ

1999年7の月、もし本当に世界が終わっていたら――。あなたが知らない“世界の終わり”、一緒に見てみませんか?

『近畿地方のある場所について』が70万部超えのホラー小説家・背筋、カルト的な人気を誇るホラーゲーム『SIREN』の脚本家・佐藤直子、そして新進気鋭の若手ホラー映画監督・西山将貴。3人の鬼才が結成したホラークリエイターユニット・バミューダ3が、“世界の終わり”をテーマに、存在しない記憶によって現実と虚構の世界の狭間を描き出すホラー展覧会。2025年7月11日~9月27日まで、『六本木ミュージアム』にて開催。

■関連記事はこちら:徹底的に練り上げられ、作り込まれた『1999展』――バミューダ3が制作の舞台裏を明かす

『1999展』を生み出したユニット・バミューダ3とは?

――『1999展 ―存在しないあの日の記憶―』の原案及びクリエイティブは、ホラークリエイターユニット・バミューダ3が担当しました。まずは、このバミューダ3というユニットについて聞いていきます。佐藤さん、背筋さん、西山さんはどのような経緯でバミューダ3を組むことになったのでしょうか。

佐藤:私は、ソニー・インタラクティブエンタテインメント(以下、SIE)から独立して、映像作品を中心にいくつかのプロジェクトに携わっていたのですが、あるとき私がシナリオを書いたゲーム『SIREN(サイレン)』の映像化を熱望している映像作家がいるから紹介したいと言われて。それが西山さんだったんです。

手振りを交えて話す佐藤直子

――西山さんは佐藤さんと出会う前から、『SIREN』の映像化を構想していたんですか?

西山:構想していたわけではないんですが、これまで自分が手がけてきた作品はすべて原作のないオリジナル作品で。あるプロデューサーの方から「原作がある作品にも挑戦してみたら。やるとしたら何をやってみたい?」と聞かれたんです。

「それだったら大好きなゲームで、たくさん影響も受けた『SIREN』一択ですね」とお伝えしたところ、その方が佐藤さんを紹介してくださったんです。

真剣な表情で話す西山将貴

佐藤:そのときにLINEを交換して、映画の話などを少しずつ共有するようになりました。それが4年ほど前で、西山さんが22歳くらいのときですね。その後、いろいろなプロジェクトで、映像関連のお仕事を手伝ってもらったり、アドバイスをもらったりして、ご一緒するようになりました。

そうして、具体的にお仕事をするようになってから、改めて彼の映像センスや物ごとに対する視点、切り取り方や考え方に、共感できるところや刺激を受けることがたくさんあったんですね。それで、この才能は絶対に手放しちゃいけない(笑)、さらなる成長を見守り続けたいと思って、現在に至ります。

――背筋さんとは、どういう出会いだったのでしょうか?

佐藤:周りの人間から小説投稿サイト「カクヨム」に、「面白い小説があるから、絶対に読んだほうがいい」とすすめられたんです。最初は、「最近、ネットで流行ってるホラー系の小説かぁ」ぐらいに思っていたんですが、あまりにも多くの人がすすめてくるので気になって読むことにしたのが、『近畿地方のある場所について(新しいタブを開く)』でした。

実際に読んでみると、私が『SIREN』を作ったときに費やした熱量や情熱が、この小説からめちゃくちゃ感じられたんですね。“これはすごい! この作者、気になる!”となって、作者の背筋さんをXで検索したところ、既に私のXアカウントをフォローしてくださっていて(笑)。

「あっ、これは運命だ……」と思って、すぐにDMを送り「とても面白かったので、一緒にご飯でもどうですか」とナンパしたんです(笑)。

背筋:佐藤さんが手がけた『SIREN』は、私が学生時代に夢中でプレイした作品で、特にアーカイブ的な構造や、バラバラの情報を組み合わせて物語を構築し、プレイヤーに理解させていく面白さに魅了され、かなりの時間プレイした大好きなゲームだったんです。

だから、佐藤さんからDMが来たときは、「ぬるいものを書いてんじゃない!」っていうお叱りの内容かなと思って、おそるおそる開いたんですが(笑)、実際はとても温かいメッセージで、すぐにご飯をご一緒させていただくことになりました。

背筋の横顔

佐藤:実際に会ってみると、背筋さんも『SIREN』などのホラー系だけでなく、ゲーム全般に深い造詣があり、ゲーム好きのクリエイター同士の出会いとなりました。

そんなこんなで、私が西山さんと背筋さんを引き合わせるかたちで、このトライアングルの関係ができたんです。そして、私たち3人で会話をしていると、年齢や性別だけでなく、それぞれが異なる視点や強みを持っているからこそ、刺激的で面白いハレーションやシナジーが生まれるということにも気づいて。それで、3人だけのLINEグループを作り“バミューダ3”と名づけて遊び始めました。

“よくわかんないけど、何か作ってよ”から始まった『1999展』

――『SIREN』というゲームが結びつけた縁というわけですね。そんなバミューダ3が、体験型ホラー展覧会を企画したのは、どんなきっかけがあったのでしょうか?

佐藤:SIEで同僚だった浅野さんから、“ホラーの展覧会の話があるんだけど興味ある?”とお誘いを受けたんです。浅野さんにはバミューダ3の話を以前からしていたので、“この3人なら面白いことができるのでは”と提案してくれました。

浅野:もともとは、SIE時代の上司で、現在はSMEに転籍されて小林さんと同じ部署でプロデューサーを務めている先輩がいるんですが、その方から「浅野はゲームを作ってたんだから、面白い展覧会の企画作れるんじゃない? 何か考えてよ」と、唐突に言われたのがきっかけなんです(笑)。

それで少し考えたところ、佐藤さんからバミューダ3の話を伺っていたのを思い出して。この3人だったら絶対に面白いものを作ってくれるだろうと思い、展覧会企画の話を持ちかけたんです。そうしたら、3人ともすぐにアイデアをふくらませてくれて、結果的に、とても面白いプロジェクトになりました。

手振りを交えて話す浅野

小林:その後、浅野さんがバミューダ3とご一緒する企画を、我々SMEに持ち込んでくださったんですが、今、話に挙がったプロデューサーの先輩は、「俺、ホラーってよくわかんないんだよね……小林さん、どう思う?」って私に聞いてきて(笑)。

私もホラーについては全く詳しくないのですが、企画書を見せてもらったところ、お三方の名前が挙がっているし、アイデアも面白い。「逆に、なんでこれがわからないのかわかりません! これは、絶対にやらなきゃいけないやつです!」と戻して(笑)、プロジェクトがスタートしました。

佐藤:1年ほど前から小林さんと具体的にどう進めていくかを話し合うようになって。

企画の枠組みづくりは、私と浅野さんで進めながら、背筋さんには物語のベースの部分とキャラクターたちの感情線をどうしていくかを考えてもらい、映像表現の部分でのアイデア出しとビジュアルディレクションは西山さんに担当してもらうということで、それぞれが作業を開始しました。

浅野:去年の段階では、企画の軸がまだ曖昧で、アイデアの羅列が中心でしたよね。でも、企画書を作りながら、徐々に感情やビジュアルのイメージが固まっていきました。

佐藤:バミューダ3として初のプロジェクトですし、会場も小さなギャラリーを想定していたので、当初はこんなに大ごとになるとは思ってなかったんですよね……でも、小林さんからの一報で、大きな歯車が動き始めました。

縁がつながり7月開催へ集約されていく『1999展』

――小林さんは、どんな一報を入れたんですか?

小林:バミューダ3とご一緒するこの企画を絶対に実現したかったので、私は、それを可能にするチームづくりや、この企画にあったパートナーとの座組構築、会場探しを進めていました。会期は2025年内に設定し、できれば9月ごろ、シルバーウィークあたりからスタートできるといいんじゃないかと思っていました。

そんなことを考えていたら、グループ会社のソニー・クリエイティブプロダクツが運営する『六本木ミュージアム』の7月のスケジュールが空くかもしれないという情報が入ってきまして……。

それが今年の2月ごろの話でした。『六本木ミュージアム』は、ストーリーテリングを重視する展示に最適だと思ったので、とりあえず仮で空いたスケジュールを押さえて。直後に、「佐藤さん、非常に急な話なんですが、7月に『六本木ミュージアム』でいけますか?」とご連絡したんです。

手振りを交えて話す小林亜里

佐藤:正直、最初にその話を聞いたときは驚きましたね。会場のサイズも想定していたものと違うし、何より準備がまだ全然できていない。

というのも、背筋さんは映画『近畿地方のある場所について』の公開に向けた準備と、文庫版『近畿地方のある場所について』の作業があり、多忙を極めていて、西山さんも初の長編映画(映画『インビジブルハーフ』)と短編映画(映画『インフルエンサーゴースト』)の制作が重なっていて、めちゃくちゃ忙しかったんです。

ただ、1999年7月にノストラダムスの大予言が世間を騒がせていたこと、そして、2025年7月も同様に予言が世間を騒がせていたことを鑑みたときに、これは何か縁があるなと思ったんです。

それでまずはふたりをオンラインで呼び出して、「ノストラダムスの大予言から1999年7月に地球が滅亡するという噂が注目されたけど、2025年7月にも日本で同じような噂があって注目を集めている。そして、西山さんは1999年に生まれていて、私のXアカウントは“310705(サトウナオコ)”。これだけの状況が揃っていて、『六本木ミュージアム』のスケジュールが7月5日から空いたというのは絶対に運命だと思う! だから、やるしかないよね!」と説得しました。

ふたりとも「ぁ、うん……」という感じで了承してくれたんですが、あとから聞いたら「佐藤さんのあのときの目がヤバかった……」と言われました(笑)。

“なぜ、人は終末に惹かれるのか?”その思考回路を提示したかった

――それぞれが多忙を極めるなか、前倒しのスケジュールが入ってきたわけですね。

背筋:イヤとは言わせない圧がありましたよね(笑)。私たちが考えていた企画は、ホラーと言ってもお化け屋敷のようなものではなく、物語と空気感を重視するものだったので、正直、夏の開催にこだわる理由はなかったんですね。

でも、日本で改めて注目された2025年7月の終末感を考えると、社会不安を煽るような露悪性を排除して、予言が的中しなかったこのタイミングでオープンできたのは良かったなと思います。

佐藤:予言も含めて“7月に滅亡する”ということを直接的に伝えたかったわけではないんです。ただ、こういった噂が1999年にあり、めぐりめぐって2025年にも話題になっている。そうやって何度も滅亡の噂が繰り返されていることが気になって……。

“なぜ人は終末に惹かれるのか?”それを自分たちになりに解釈して、提示してみたかったんです。

終わりというのは、ただ怖いだけでなく、新たな始まりも想起させます。つまり、終わりと始まりは繋がっている。そして、終わりを望む人は、実は新しい始まりを求めているのではないかと考えました。

そんな感情を伝えるには、2025年の7月というタイミングが最適だったと思います。何も起こらないと信じていたからこそ、その日を“存在しない記憶”として感じてほしかったんです。

1999展の展示物、赤い光が降り注ぐ世界

ジャズのセッションのように高め合うバミューダ3のクリエイティブ

――企画展の名称は『1999展 ―存在しないあの日の記憶―』。1999年をフィーチャーしたインパクトのあるタイトルになりました。

浅野:タイトルは何度も議論しました。最終的に、小林さんが「“1999”という数字には特別な魅力を感じる」と言ってくれて、それが決め手になったんです。

1999展の看板

佐藤:1999年というテーマが決まってからは、企画を固める過程は、バンドのセッションのようでした。どこの作業であっても誰かのトップダウンでフレームを決めるのではなく、3人でアイデアを出し合い、揺さぶりながら形にしていく。

私のなかではこれが、『SIRENT HILL』や『SIREN』を作ったときと同じような感覚で。既存の枠にとらわれず、3人が3人とも作業を作業としてこなすのではなく、“これをやったら面白いよね”と考えながら能動的に動き、ひとつの形に収束できたなと感じています。

背筋:佐藤さんの言う通り、私たちは映像監督、作家、脚本家、ディレクターとして、常に着地点を探しながら、それぞれが遊び心を持ってボールを投げ合っている感じでしたね。ジャズミュージシャンがセッションで音遊びをしながら、でも、ちゃんと曲に仕上げていく。そういうやり方に近かったのかなと。

それぞれの1999年――あのとき私は何をしていた?

――1999年7月は、“ノストラダムスの大予言”によると“恐怖の大王が降りてくるとき”と一般的には解釈されていました。皆さんにとって1999年はどんな年でしたか?

西山:自分は1999年6月生まれなので、1999年7月は生後1カ月……記憶はまったくないです(笑)。ただ、母が“ノストラダムスの大予言”について書かれている本を持っていて、「少し信じていた」と話していたんですね。だから、「もし本気で信じていたなら、あと1カ月で終わる世界になんで自分を生んだの?」と冗談で話したことがあります。

母は、普段、まったくそういうことに流される人ではないので、予言とか、陰謀論に興味がない人でも影響を受けるくらい、“1999年の予言”は大きなインパクトを持っていたんだなと思いましたね。

真剣な表情で話す西山将貴

佐藤:その西山さんの話に着想を得て、『1999展』では、1999年に子どもを妊娠している南山愛子というキャラクターが登場します。出産という女性にとって大きな変化を迎えるときの不安と、1999年に終末を迎えるかもしれない恐怖がどう混ざっていったのか。そういう感情を表現して、皆さんに伝えられたらと思いました。

1999展の展示物

背筋:私は1999年当時、まだ幼かったんですが、テレビなどで“人類滅亡”の話題がよく出ていたことを覚えています。世の中の空気感としては、“滅亡”という言葉に漠然とした恐怖を感じるいっぽうで、「滅亡するなら宿題はしなくていいよね」「もう会社に行かなくていいんだ」と冗談めかして話す人がたくさんいましたよね。終末に死を連想しながらも、目の前の現実にある苦しみや悩みから解放される救いとか、高揚感とかも共存していたと思うんです。

そして、この感情とか思考というのは1999年に限らず、普遍的なものなのではないかと思っています。月曜日の朝、“会社に行きたくない、会社が爆発したらいいな”と妄想するいっぽうで、そんなことは現実には起こらないこともわかっている。

そういう破壊衝動とともにある、諦めの気持ちや切なさ、そこに求める希望や救済……そういう複雑な感情が、“ノストラダムスの大予言”や“1999年7月”に象徴されていると感じます。

笑顔を見せる背筋

佐藤:私にとって1999年の7月は、最初に就職したコナミを辞めて、無職だった時期でした。『SILENT HILL』が発売された直後で、滅亡の噂は認識しつつも、青い空を見て解放感を味わっていた記憶があります。

そして、作家の高橋克彦さんが矢追純一さんや横尾忠則さんと対談した『1999年』という対談集があって、それを読み漁り、大きな変化を期待していました。でも、それはカタストロフを求めていたのではなく、自分自身が変わる瞬間を求めていたんだと思います。

2000年代に入ってコンテンツの作り方、在り方が大きく変わっていくなかで、当時のカルチャーを愛した世代としては、今は“死後の世界”を生きているような感覚があります。そういう気持ちもあったので“2025年の滅亡の噂”を聞いたとき、1999年とのループ感やレイヤー感を感じました。

微笑んでいる佐藤直子

浅野:私は1997年に就職したので、1999年は入社2年目でした。最初のゲーム制作会社がかなりハードな環境で……まだ新人社員なのにチームのディレクションを任され、ゲームの仕上げで毎日のように徹夜をしていました。

そんななか、1999年は「来月で世界が終わるなら楽になるなぁ」と思っていましたね……。でも、気づいたら7月が過ぎちゃっていて(笑)。じゃあ、次は……ということで、世界中のシステムがダウンしてしまうのではないかと言われた“2000年問題”に希望を繋いでいました(苦笑)。

結果、何も起こらず、そのまま忙しい日々が続いたので会社を辞め、次の道に進みました。そんな記憶があったので、『1999展』のテーマを聞いたとき、“あのときの忙しさとか、そのときに蓄えたものがここにつながったのか”という気持ちになりましたね。

微笑むながら話す浅野祥

小林:1999年のころ、私はまだ学生で、毎日、バカなことばかりしていました(笑)。なので、“人類滅亡の噂”もあまり意識していませんでしたね。でも、子どものころから“ノストラダムスの予言”は怖いものとして認識していました。だから、今回の展示の企画書を見たとき、“1999”という数字が独特な空気感を持っていて、いろんな感情を想起させる魅力があると感じたんです。

笑顔を見せる小林亜里

プロデューサー陣が考える『1999展』の楽しみ方

――今回の企画をプロデュースした浅野さん、小林さんにとって、バミューダ3とご一緒する面白さはどんなところにありましたか?

浅野:3人のチームワークとクリエイティブがすごくしっかりしているから、ここで作られた企画がすぐに次のステップに進めることができるんですよね。

自分の経験上、アーティストやイラストレーターのなかには、自分が描いたものをすぐに作品化できるタイプの方がいらっしゃるんですが、バミューダ3にもそれに近いものを感じます。ラフのアイデアがほぼ作品レベルのものになっている。そういうところがすごく刺激的でしたね。

私はこれまで主にゲームを作ってきましたが、個人的には皆さんとゲームも作ってみたいなと思いますし、バミューダ3自体をいろいろなメディアへ展開していける可能性を感じました。

小林:バミューダ3が生み出すコンテンツは、深いところまでコンセプトが練られていました。作品として深度があるので、ただのホラーコンテンツではなく、現代アートの視点であったり、文学、映像作品であったりと、さまざまな楽しみ方ができる。いろいろな人が自分なりの見方で、さまざまなアプローチができる展覧会になったと思います。

これだけ多岐に渡る魅力を創出できるお三方のクリエイティブを間近で見られたことが、最も面白かったことですね。

1999展の展示物、青く光る部屋

――プロデュースサイドでこの展覧会の制作に携わった浅野さん、小林さんは、『1999展』をどのように楽しんでもらいたいですか。

浅野:作品を体験することで、世の中の見え方まで変わってしまうということが、エンタテインメントではあると思うんです。今回の『1999展』も、そんな体験を提供できるのではないかと、私は考えています。

展示物は、ぜひ細かく、注意深く見てほしいですし、映像からはきっと何かを感じ取っていただけると思います。そして音声、テキストで登場人物たちが語っていることを余すことなく体験していただくと、それぞれの人生に想いを馳せ、なかには共感できることもあるのではないかと思います。

それだけの作り込みと、逆に考察する余地が残されているのが『1999展』です。1度では、なかなか辿り着けない情報量なので、ぜひ、何度か足を運んでいただいて、カフェの考察ノートなどでほかの人の意見も見ながら、終末の世界観にどっぷりハマってください。

カフェに設置された考察ノート

小林:すごくいい体験型の展覧会ができたと手応えを感じています。だからこそ、もっと多くの人に、『1999展』の面白さを知っていただかなければと考えています。

現時点の『1999展』に関して言うとカルチャー層から始まり、その後SNSなどでの拡散により、若い層のお客さんが多くいらっしゃるようになって、現在では、親子連れなど一般層にも少しずつ認知が広がっていると実感しています。

1999年という共有記憶にフィクションを重ねると、当時を知らない世代にも自分ごととして迫ってくる感がありますので、幅広い世代の方に楽しんでいただけると思います。

現実と虚構が互いに干渉する瞬間に、懐古ではなく“新しい実在感”が立ち上がる――自分自身がその不思議な力に強く惹かれたので、ぜひ若い世代の方たち含め、いろいろな人に体験していただきたい展覧会です。

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文・取材:志田英邦
撮影:干川 修

©1999展

1999展

1999展ポスタービジュアル

■会期:2025年7月11日(金)~9月27日(土)
■会場:六本木ミュージアム 東京都港区六本木5-6-20
※東京メトロ六本木駅より徒歩7分 麻布十番駅より徒歩10分
■開館時間:10:00~18:00
※金土日祝および8/8(金)~8/17(日)は10:00~20:00開館
※最終入場は閉館30分前
■チケット
一般:¥2,500
学生(中・高・大):¥2,000
小学生:¥1,300
※未就学児入場無料
チケット購入はこちら(新しいタブを開く)

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