ブルース・スプリングスティーンについて知っておきたい12のこと②
2025.12.05


映画『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』公開でも話題のブルース・スプリングスティーン。彼はなぜ、アメリカンロックを体現するアーティストとして、50年以上にわたり第一線を走り続けられているのか。
日本の担当ディレクターとして長年にわたり信頼関係を築いてきたソニー・ミュージックジャパンインターナショナルの白木哲也が、その魅力と味わい方を解説する。
目次

白木哲也
Shiroki Tetsuya
ソニー・ミュージックレーベルズ
1949年9月23日、ニュージャージー州フリーホールドで生まれる。1973年にアルバム『アズベリー・パークからの挨拶』でデビュー。『明日なき暴走』(1975年)、『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』(1984年)などの名盤で時代を彩ってきた。2002年、18年ぶりに盟友Eストリート・バンドと録音したアルバム『ザ・ライジング』でシーンの頂点に完全復活。既発アルバムの全米トータルセールス7,100万枚は歴代13位。全世界トータル・アルバムセールスは1億4,000万枚を突破。20ものグラミー受賞に加え、ゴールデングローブ賞、アカデミー賞などの各賞も受賞。1999年にはロックの殿堂入りを果たした。
記事の前編はこちら:ブルース・スプリングスティーンについて知っておきたい12のこと②
――今年、映画『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』が劇場公開されて、改めてブルース・スプリングスティーンという稀代のアーティストに注目が集まっています。
日本の担当ディレクターとして、ブルース・スプリングスティーンの音楽人生の一端を描く映画が公開されたことは率直にうれしかったです。多くの方、特に若い方に映画館でブルースの音楽を模擬体験してもらえたことは感慨深いものがあります。
――さまざまな感想やレビューがSNSやメディアでも語られていますが、特に多かったのは“内容が意外だった”という声ですね。
映画はブルースの6thアルバム『ネブラスカ』(1982年)の創作背景を直接的なテーマにしていて、ロックスターとして成功の階段を駆け上がるドラマティックな瞬間ではなく、精神的苦悩を抱えたブルースが一番つらい時期を描いているので、その感想はよくわかる気がします。
『ネブラスカ』はブルースの50年を超えるキャリアのなかでも重要な作品でありながら、多くの謎に包まれていたアコースティックアルバムなんです。結果的に制作が同時に進行するエレクトリックなロックアルバム『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』(1984年)のヒット規模が大きいことも、さまざまな感想と関係していると思います。
――『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』というタイトルから、ストレートに入ってくるマッチョな印象とのギャップを感じた人も多かったでしょうね。
以前、『レター・トゥ・ユー』(2020年)が発売されたときにもお話ししましたが、僕は『ザ・リバー』(1980年)、正確にはシングルカットされた「ハングリー・ハート」でブルースの音楽と出会いました。
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映画のなかでも、「ハングリー・ハート」での初の全米トップ10ヒットに続く、ポップでロックな作品のリリースを期待するレコード会社の商業的な思惑が台詞になっていましたが、それは当時のブルースのファンもどこかで心待ちにしていたはずなんです。
それこそ劇中でブルースが言ったように、「取材は受けない、宣伝もしない、ツアーもやらない」という状況で届けられたローファイなアルバムは本当に驚きでした。僕は当時大学生でしたが、今と違ってあまりにも情報がない状況で、『ネブラスカ』にレコードに針を落としたときに聞こえてきた、“ホワァ~”というハーモニカの音の響きと衝撃は忘れることはないですね。
――これからブルース・スプリングスティーンを聴き始めるというリスナーに、おすすめの作品を教えてください。
50年のキャリアを総括する18曲入りの『ベスト・オブ・ブルース・スプリングスティーン』(2024年)がありまして、これが一番の入門編です。
そのうえで、映画のなかでジェレミー・アレン・ホワイトが演じたフルセットのライブシーンに興味を持ったならば、本物のブルースのライブを追体験する作品として、映画で描かれた年代とも近い『ノー・ニュークス・コンサート1979』(2021年)を聴いてほしいですね。この作品は、音源も素晴らしいのですが、Blu-rayやDVDの映像でパフォーマンスを体感していただくことをおすすめします。
『闇に吠える街』(1978年)と『ザ・リバー』(1980年)の間にあたる時期で、このころのブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドは、ほかに類を見ない3~4時間の長時間ライブを超人的に展開していたんですが、実はあまり映像が残っていないんです。1979年9月にマディソン・スクエア・ガーデンで反核ベネフィットコンサートのトリを務めたステージは、そんな脂が乗ったころの凝縮版として90分で楽しむことができます。
もちろん「明日なき暴走」も収録されていますし、有名な「I’m Just a Prisoner of Rock’n’Roll(俺はロックンロールの囚人だ!)」と叫ぶ瞬間(「クォーター・トゥ・スリー」)も含まれています。
ブルースの音楽の素晴らしさはライブが一番伝わると昔も今も僕は確信していますが、彼がなぜ“アメリカンロック界の伝説”や“The Boss”と呼ばれているのかは、この映像からだけでも充分に感じ取れると思います。
また、最も有名なアナログ5枚組(CD3枚組)アルバム『THE "LIVE" 1975-1985』(1986年)もブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドの全盛期を知るうえでは欠かせない作品ですね。
それと、ブルースのスタジオアルバム入門盤としては、もちろん『明日なき暴走』(1975年)は外せませんが、『闇に吠える街』(1978年)も絶対に聴いてほしいですね。
――そういえば、「パティ・スミスの『ビコーズ・ザ・ナイト』(1978年)の共作者がブルース・スプリングスティーンだと知って驚いた」と言っていた知人がいました。ブルース・スプリングスティーンとパンクの女王のイメージが全然結びつかないとも。
それも長いキャリアを誇るブルースのアーティストとしての軌跡のひとつなんですよね。ブルースは1970年代のニューヨークのパンクシーンと密接につながっていて、お互いに影響を与え合っていましたし、ザ・クラッシュのジョー・ストラマーとも交流がありました。
ちなみに「ハングリー・ハート」は、そもそもラモーンズへの提供曲として作られています。周りに止められて、結局、その話はなくなり自分で歌うことになるんですが(笑)。
映画のなかで言うと、ブルースが精神的苦悩を抱えながら、楽曲制作に向き合っているときに、床で仰向けになってノイジーな音楽にトリップするシーンがありますが、あそこで流れているのはスーサイドというニューヨークのアンダーグラウンドで活躍したパンクバンドの1stアルバム『スーサイド』に収録されている「フランキー・ティアドロップ」という曲です。スーサイドの音楽は、かなり尖鋭的でアートパンクなどとも言われますが、ブルースは彼らとも交流があって、実際、楽曲制作では大きな影響を受けたようです。
世間では、アメリカンロックの象徴と認識されているブルースですが、その時代に流れている音楽のなかで尖ったものに反応する嗅覚というか、自分にインプットしなければいけない音を見分けるセンスというのは、ずば抜けているんですよね。
――ブルース・スプリングスティーンは、ジャンルやスタイルを超越する“アメリカンロック”という大きな歴史そのものを、ポピュラーシーンの第一線で体現し続ける稀有な存在という印象です。
僕もそう思います。そんななかで、次におすすめしたいアルバムが、先ほどから何度もタイトルが挙がっている「ハングリー・ハート」が収録された2枚組アルバム『ザ・リバー』(1980年)。このアルバムで、ブルースは初の全米1位を記録することになります。
古き良きアメリカンポップスへのオマージュがたっぷり感じられるアルバムで、王道ロックンロールの楽しさを教えてくれます。おそらく1980年代以降に日本の第一線で活躍しているロックアーティストにも、サウンドやビジュアル、演奏アプローチに至るまで大きな影響を与えている作品ですね。
時系列だと、次のアルバムが同時制作進行した『ネブラスカ』と『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』ということになるわけです。『ネブラスカ』はアメリカ音楽史に残る不朽の名盤と言って過言ではなく、いっぽう『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』はファクトとして1980年代に最も売れたロックアルバム。アメリカ国内だけで累積1,500万枚、全世界で2,000万枚のセールスを記録したモンスターアルバムです。日本でもスプリングスティーン史のなかで一番売れたアルバムということになります。
――『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』のタイトル曲は、ロック史上最大の誤解を与えた曲とも言われています。
「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」ほど間違った解釈で認識されたヒット曲はないと思います。拳を突き上げて♪Born in the U.S.A. って力強く歌っていたから、アメリカ万歳って礼賛している曲だと思っている日本のリスナーも多いですが、実際はその逆なんですよね。
この曲が生まれた背景には、ブルースがボビー・ミュラーとロン・コビックというふたりのベトナム負傷帰還兵の反戦活動家と知り合い、帰還兵の支援に積極的に協力するようになったというのがあります。ベトナム帰還兵は、ほかの戦争の退役軍人が英雄的歓迎を受けたのに対し、祖国に戻ってもほとんど無視され、多くの人が心的外傷後ストレス障害などに苦しんでいました。
ブルースは帰還兵たちから直接聞いた話をもとに、1981年に当初は「ベトナム」という題名でこの曲を書き始めました。そんなところにポール・シュレイダー監督が、クリーヴランドで活動するバー・バンドの試練を描いた『Born in the U.S.A.』という映画の脚本を送ってきた。ブルースは脚本の表紙にあった題名をコーラスとして歌ったんです。このあたりは映画でも描かれていましたね。
――それこそ劇中ではロックの神様が舞い降りたかのように力強く♪Born in the U.S.A. と歌っています。鳥肌が立つベストシーンのひとつですね。
素晴らしいシーンでしたね。初めて導入した硬質なシンセサイザーのリフとスネアを、強烈に叩きつけるドラムが推進し、たったふたつのコードで繰り返される、まるでファンファーレのような賛歌的なアレンジの強いロック曲が誕生しました。
そのことで、英語を母国語とするアメリカ国民でさえ、単純な愛国歌と受け止める人も多く、ロナルド・レーガン大統領を含む多くの人に誤解されてしまいました。「米国に生まれたんだ!」と高らかに宣言しているわけではなく、「米国に生まれたのに……」という卑下する屈折感情やそのときの世情への苦々しい思い、やり切れなさを吐き出すように歌うプロテストソングだったのに……。
――ミュージックビデオ(以下、MV)が全盛のMTV時代だったことも無縁ではないですよね。「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」のMVのなかでたなびく星条旗は誇らしげでもありましたから。
それも誤解された原因のひとつだったと思います。MVのなかでブルースは、アルバムジャケットと同じように星条旗を背負っていたのではなく、対峙していたんですけどね。でもこれは仕方ないことです。貼られたレッテルを払拭するためにブルース本人も長い年月をかけて誤解を解き続けています。
ブルース・スプリングスティーン - ボーン・イン・ザ・U.S.A.(日本語字幕ver)
けれど、今も日本のテレビのバラエティ番組とかで、人気のハンバーガーショップを紹介する映像に、“これぞアメリカ”みたいなイメージでBGMとして使われていたりすると、正直“オイ!”と突っ込みたくなりますね。時代を戻してどうするんだと。
――世の中に出た曲は、リスナーが育ててひとり歩きするとも言われますが、間違った解釈は正していきたいということですね。
はい。これは機会があるごとに僕は言い続けます。不特定多数のリスナーにアーティストの志を伝えることも、日本の担当ディレクターの仕事だと思っていますから。でも、かく言う自分にも反省点があるんですよ。
僕は、1994年に日本公開された映画『フィラデルフィア』の主題歌「ストリーツ・オブ・フィラデルフィア」からブルースの担当になって、本格的にアルバムを手がけたのは『グレイテスト・ヒッツ』(1995年)からでした。
ひとりでも多くの人にプロモーションできないかと考えた僕は、アメリカの某服飾メーカーのCMタイアップに「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」を提案しようと、アメリカのブルースの事務所に楽曲の使用許諾を打診したんです。若気の至りと言ってしまえばそれまでですが、イメージも合っていましたし、我ながら意気揚々としたオファーでした。
――それは思い切った打診でしたね。
向こうからは即答でしたね。FAXだったと思うのですが「NO! 一生やらない」って。短い文面でしたが、怒ってるのが伝わってくるんですよ。おそらく「日本よ、しっかりしてくれ」ということだったのでしょう。誤解を与えるようなオファーには、徹底してNGを出す。この姿勢は曲に限らず、アーティストの見せ方としても一貫していますね。
映画のなかでも、マネージャーのジョン・ランダウが“ブルースを信じる”と彼を雑音から守るシーンが何度もありますが、まさにあの姿勢です。
――1997年の2度目の来日のときは、そんな失敗も挽回できたのではないですか。『ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード』(1995年)を抱えたソロ・アコースティックツアーでの来日で、ライブ会場では歌詞の日本語対訳が記載されたリーフレットがすべての観客に配布されました。
挽回できたかどうかはわかりませんが、少しはお役に立てたかもしれません。1995年から始まったソロ・アコースティックツアーでは、「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」を“これはプロテストソングで、GI(兵士)のBLUESだ”と紹介し、アコースティックギター1本の弾き語りで披露していました。賛歌的なヒット版で単純な愛国歌と誤解した人にも、帰還兵の苦悩を描いた作品であることが、しっかり伝わる解釈だったと思います。
1997年に東京国際フォーラムで行なわれた日本公演でも、このアレンジで演奏されました。これも以前Cocotameでお話ししましたが、ブルース本人から出たアイデアをもとに、リーフレットは僕が作りました。
1985年の初来日のときに、ブルースが言葉によるコミュニケーションの壁みたいなものを感じていたようで、『ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード』は理解してライブに臨んでほしいという、ブルース側からの要望があったんです。
用紙1枚に印字されただけのものだと味気ないので、少しだけお金をかけてリーフレットっぽく作りました。ライブ会場でのサポートですから、あれはレコード会社の担当ディレクターの仕事の枠を超えていたと思うのですが、やって良かったと今でも思っています。
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文・取材:安川達也
映画『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』
『Born In The U.S.A.』の前夜、世界的スターへの階段を上り始めた若きスプリングスティーンが、成功へのプレッシャーと過去の影に向き合いながら、葛藤し苦闘し、名盤『ネブラスカ』(1982年)の誕生へと至る過程を描く。
映画の詳細はこちら
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